日帰りで長崎に行ってきました。
長崎歴史文化博物館に、本木昌造という日本における「近代印刷術の祖」といわれる人物の資料があり、自分も印刷業界に身を置く者として、じっと見入っておりました。
*長崎歴史文化博物館様 写真掲載の許可をいただきありがとうございます。
その後、あらためてネットで調べてみると、以下引用ですが、このような内容でした。
「オランダに造船を依頼していた咸臨丸に乗ってやってきた活版印刷技師が、1857年に寄港地の長崎・出島に印刷所を設置し、持参した印刷用資機材を使った蘭書を何冊か製作しました。これらはオランダ語で印刷されていたのですが、それに強い関心を寄せた人物が日本の近代印刷術の祖といわれる本木昌造でした。
本木昌造は、もともとオランダ語の通司(通訳)を仕事にしていた関係で、オランダからやってきた印刷技術の素晴らしさに感銘し、何とか日本語の印刷物をつくってみたいと思いました。そこで、オランダの貿易商人から購入した印刷資機材を手にしながら研究に没頭し、ついに片仮名邦文の鉛活字をつくることに成功しました。早速、自分で書いた本(蘭和辞典)の印刷を試みたのです。
オランダから船で持ち込まれた活字と印刷機を設備に、長崎奉行所が1856年に活字判摺立所を開設したとき、本木昌造は取扱掛に任命されて、実際に、和蘭書や蘭和辞典の印刷刊行に取り組んでいました。そんな経験を生かして自ら日本語の活字開発に挑戦し、さらに、明治に入って早々(1869年)に活版伝習所の開設に漕ぎつけています。」
(出典 https://www.jfpi.or.jp/printpia/part2_03-06.html)
本木昌造という人物の功績により、江戸時代の長崎から印刷は広がっていった、とのこと。
今の印刷業界があるのも、元を辿れば、オランダとの交易で活躍した本木昌造さんのおかげなのかもしれません。受験勉強でちょっと聞いて以来、名前を忘れていて失礼しました。
「二日休みがあれば、一日休養、一日教養」と昔から言われていたので、その教え通りに、先週末はいいお休みと、いい勉強になりました。
久保井インキ株式会社
営業部 H.D